王将の思い出
京都に生まれ育った人なら王将(大阪王将じゃないよ)の餃子はソウルフードと言ってもいいだろう。
わたしも幼少の頃からおつかいで近所の王将に餃子を人数分買いに行ったりした。
店で食べるようになったのは浪人の頃。予備校の近くの出町店でよく食べていた。
ソーハン大(焼き飯大盛り)とか回鍋肉、鶏の唐揚げ(えんざーき)とかをよく食べてた。
当時は長崎で中華料理をやっていた人がやっていて、王将のチェーン店の開店順では一桁くらいの古さの店だった。
今は店長が替わり、学生街ということもあって30分皿洗いで食べさせてもらえるらしい。
このサービスは1990年±5年くらいの頃にいくつかの店舗でやっていた。
わたしがおつかいに行った王将でもやっていて、大学の後輩の大食漢が「もういい」というほど食べさせてくれたらしい。
今でもやっているのは出町店のみで学生を対象にしているらしい。
王将は店長の裁量でいろいろできるみたいで店ごとにセットメニューが違ってたりする。
そうした店長の裁量はわたしの学生時代にもあって、修学院店では海苔の佃煮のボトルキープ、宝ヶ池店ではプロレス好きの店長によるアントニオ猪木セット、藤波辰爾セット、長州力セットなどがあった。
今でも烏丸七条の店では京都駅前の立地なので駅前セットというのがある。
滋賀に移住してからも最寄りの王将に行くが、滋賀の王将各店のレベルが京都に比べて低い。
ひどいところはご飯が古米を炊いていて、ご飯粒が割れているくらいならまだしも、米が古すぎてお腹を下したこともあった。
この店は各種のメニューの味の違いもわかりにくいくらいのテキトーな調理だったけど、住宅街なので夕方の持ち帰りで行列ができる。滋賀県民おかしいだろ。
他にも看板メニューの餃子がまずすぎて残す人が出る店があったけど、さすがに閉店した。
今もやっている店の中で直営店はまだましだけど、フランチャイズは目も当てられない。
脂ぎった焼きそばとかぬるい餃子とか冷えてない瓶ビールとか散々だった。
県境をまたぐだけでこんなにレベルが落ちるものかと嘆いていたが、最近では京都の各店舗もどうにも微妙な感じになってきた。
調理をする人が王将以外の経験がない人が多く、中華の基礎もできていないように思う。
往年の出町店あ美味しかったのはやはり中華の基礎があったからだと思う。
そういう基本に立ち返った調理を心がけてほしいものである。
iPhoneとiPod touchのミュージックアプリの違い
iPod touch 5th 64GBが容量に余裕がなくなってきたのでiPhone SE 128GBに切り替えた。
で、同じように操作しようとしたら挙動が違った。
iPod touchではミュージックアプリでアーティストを選択して再生すればそのアーティストの曲を新しく入ったアルバム順に再生していく。
でもiPhoneだとアルバムまで指定しないと再生してくれない。
当然アルバムの曲が終われば再生は止まる。
どうにもこの挙動に慣れない。
前から新しく入ったアルバム順が気に入らなかったので、アーティストごとにプレイリストを作れば思うような挙動にできるとは思うけど、せめてアーティスト単位での再生はワンタップでできるようにしてほしい。
余談
iPod classicではアーティスト別で再生したら古いアルバム順で再生します。
仕事帰りにコンビニで酒を飲んでいたら転職が決まった話
今の仕事は交替勤務で2日おきにシフトが変わる。けっこうやってられないことも多いので、仕事帰りにコンビニでチキンをアテに缶ビールを飲むようになった。
最初は仕事が辛かった日とか嫌なことがあった日だけだった。それが徐々に毎日になり、夜勤明けも飲むようになっていた。
そこにかつて同じ現場で違う業者で働いていた人が、朝の仕事が始まる前に缶コーヒーを買うべく、わたしが呑んだくれているコンビニに寄った。
久しぶりなので雑談をする。
そしたら仕事の話が出てきた。人を募集しているらしい。
今の表向き正社員だが、実質非正規のボーナスも退職金もない日給月給で残業代や夜間手当で稼いでやっとどうにかなる給料とは違うらしい。
ふたたびコンビニで出会った時に連絡先を渡して、詳しい話を聞く機会を設けた。
ボーナスまで含めて年収がどうにか変わらない程度だけど、退職金がある。
ヘタを打たなければ63歳まで面倒見てくれるみたい。2年延長もできるかもしれない。
50歳では流石に転職もなかなか見つからないので、これはいい機会だと思い切って話に乗っかることにした。
今までも転職の話はあったけど、話を持ちかけてくれた人を信用しきれなかったので、ダラダラと17年ほど今の仕事を続けてきたけど、正直5年先はわからなくなってきている状況ではしがみついてもメリットは少ないだろう。
でもわたしはあと8年住宅ローンがある。医療保険も65歳まで払うことになっている。というわけで、思い切って乗り換えることにしました。
この機会はコンビニで酒を飲む習慣がなければ巡り会えなかったし、消防団で必要だからと車を買わなければ通勤にも難儀する有様だった。
色々なことが巡り巡ってわたしの状況に合致した。
この機会を大事なめぐり合わせとして大事にしたい。
すごく手軽なソーメンチャンプルー
このまま更新しないと7月は何も更新しないことになるので、プチネタ。
ものすごく簡単なソーメンチャンプルーの作り方。
用意するもの
ソーメン 1束
コンビニで売っている冷凍野菜炒め 1袋
カツオベースの粉末ダシ 1袋
サラダ油 適量
まずソーメンを茹でます。
同時進行でフライパンを中火で温めて、冷凍野菜炒めを温め始めます。
ソーメンが茹で上がったらザルにあけて湯切り。
湯切りしたソーメンを少し深めの皿にあけてサラダ油をかけて混ぜ合わせる。
サラダ油になじんだソーメンを野菜炒めの入ったフライパンに入れて混ぜ合わせる。
程よく混ざったら粉末ダシをふりかけて混ぜ合わせたら出来上がり。
好みでほんの少し塩コショウをかけてもいいです。
ソーメンに混ぜ合わせるサラダ油は小さじ一杯程度にしておきましょう。
あまり油が多いとしつこくなります。
一分で茹で上がるソーメンならインスタントラーメンより手早くできます。
ただし作った後の洗い物は多いです。
繁昌亭ロックフェスティバルの来年以降のゲストを考えてみる
少し遅くなりましたが6月9日ロックの日に天満天神繁昌亭で開催された「第一回繁昌亭ロックフェスティバル」に行って来ました。
開口一番は桂二葉さんの「つる」二葉さんは桂米二さんの弟子で最初はアフロヘアーで高座に出てました。今はマッシュルームカットです。
一門会のイラストがサイケデリックで「ああこういうのが好きなんだなぁ」というのがよく分かる。まぁロック好きなんでしょう。
噺が終わると二葉さんが膝隠しや見台など一式を片付けてめくりをめくって曲芸の揚野バンリさんの出番。お茶子さん兼任のようです。
バンリさんはなぜかアメリカンポリスのかっこうで似非関西弁っぽい喋り方でなんやかんやと芸をしていく。当日のチラシによるとかつてゲストのROLLYさんとバンドを組んでたらしい。
また落語にしつらえを替えて桂あやめさんの「くっしゃみ講釈」にヒントを得た新作。
大阪出身で全国区になったバンドの大阪時代の追っかけの人がスキャンダル発覚で嫉妬して、困らせてやろうと花粉症がひどいヴォーカルに花粉たっぷりの花束を渡してくしゃみで歌えなくさせるという噺。まぁロックに絡めた噺ですな。
そして幕が閉じたと思ったら月亭遊方さんが出てきて落語家バンドの話題で場をつなぐ。
バンド名がヒロポンズ・ハイという。彦八まつりで演奏するんだけど、彦八まつりの会場の生魂神社から名前を変えてくれと言われているらしい。
幕が開くとROLLYさんオンステージ。
幕間の話題でROLLYさんも営業でスーパーとか行くらしいので営業慣れしたトークとステージ。ギターのテクニックは流石だけど「ギターは顔で弾く」もしっかりやっていた。
繁昌亭の出番は通常15分、夜席で長くても30分くらい。ROLLYさんも30分位やってたかなぁ。
そしてまた幕が閉じて開いたら座談会。
月亭遊方さん、桂あやめさん、揚野バンリさん、ROLLYさん。
話題は最初に買ったレコードとか年代の話とか。
なぞかけで「ロックとかけまして」を日頃高座のロックンローラーと言っている月亭遊方さんが「なぞかけ苦手やねん」と逃げたのはちょいと残念。
座談会が終わって幕を閉じてしつらえを替えて講談ジャニス・ジョプリンの始まり。
月亭遊方さんは去年ロックの日に講談ジミ・ヘンドリックスをやっていて、今回はその第二弾。
この講談はシリーズがあって、まず4つのJから始まる。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジョン・レノン、ジム・モリスンから始まっていろいろ作られたらしい。
ネタは何年か続けられそう。
この講談が省略しつつで30分ほど。
終わったら22時前。いつもの繁昌亭夜席なら21時過ぎから半くらいに終わるので、どこかで食事と晩酌してから帰るのだけど、流石に遅いので、途中でコンビニでおにぎりとビール買って電車に乗った。
さて、今回はスーパーでの営業もこなしているROLLYさんがゲストだったので、短い時間でのステージングも座談会もうまくこなしたように思うけど、来年以降どうするんだろう?
まず出てくれるかどうかは不明だけど関西に拠点をおいているもしくは関西での活動に重点を置いている人だとトータス松本、中川敬、西川貴教あたりが浮かぶが、ギャラは大丈夫だろうか?
もんたよしのりあたりはいいかもと思う。有山じゅんじや上田正樹あたりだとブルースになってしまうし、ロックフェスティバルとしてはどうかと思う。
視点を変えてベーシストだとファンク寄りになるけど、永井利光やジョンBチョッパーあたりもいいかもしれない。繁昌亭にはミラーボールもあるぞ。
来年以降どうなるかわからないけど、また機会があれば行きたいものだ。
沢田研二のソロの行方
「沢田研二A面コレクション」なる三枚組を聞いている。
ザ・タイガース解散後PYGを経てのソロ活動。概ね年代順にまとめられたこのアルバムを聞いていると、暴力事件での謹慎後「勝手にしやがれ」以後の破竹の勢いに至らなかったら、どうなっていたのかということが気になる。
ソロ活動の初期のシングルはセールス上はかなりの売上があり、復帰後のヒット曲の数々も「時の過ぎゆくままに」のセールスには追いついていない。
人気が加熱しすぎたゆえに起こった暴力事件でもある。
だから売れ続けたのだろうとは思うけど、その頃の曲はメロウなメロディにドラマチックな歌詞を乗せて独自の世界観を構築するものが多く、その路線を続けていても固定ファン以外は衰退していったのではなかろうかと思う。
復帰後は「ザ・ベストテン」などで毎週のようになにかしら歌う機会があったのが大きく、多くのファンに印象に残っているのはこの頃の楽曲だろう。
実際、ヴィジュアルの演出が曲ごとに入れ替わり、巧妙で日本のグラムスターとして他の追随をゆるさないほどの独走と独創を演出した。
暴力事件からの謹慎がなくても、どこかで派手なグラムスターとしての覚醒があっただろうとは思うけど、やはり謹慎期間がセルフプロデュースの上で大きな変化をもたらしたことは確かだろうと思う。
ザ・タイガースも含め沢田研二の活動期間の全体を通して言えるのはやはり声もヴィジュアルもセクシーなスターで、ドラマ「寺内貫太郎一家」で樹木希林(当時は悠木千帆)が演じるおばあちゃんが身悶えしながら「じゅ りぃぃぃ」と言うのもよく分かるキャラクターだったということだ。
プロ野球の本拠地球場のネーミングライツ
近年はプロ野球の本拠地球場といえども運営にお金がかかるみたいで、球場の名前にスポンサーの名前をつけるネーミングライツが多い。
北から見ていくと札幌ドームはネーミングライツを使ってない。
宮城球場はkoboパーク宮城となっている。楽天の電子書籍の名前がついている。その前はクリネックスが確か名前をつけてた。
千葉マリン球場はZOZOですな。
東京ドーム、神宮球場、横浜スタジアムはネーミングライツなし。
首都圏のセリーグは集客できるんでしょう。
神宮は大学野球でも収入があるし、東京ドームは社会人野球や展示会なんかで幅広く使われている。
ナゴヤドームも地元人気に支えられてどうにかやっているようだ。
関西では京セラドーム大阪がわりと長期間安定してネーミングライツ使用中
ほっともっとフィールド神戸はグリーンスタジアム神戸からコロコロと名前が変わっている。Yahoo!BBスタジアムとかスカイマークスタジアムとか変遷してほっともっとフィールド神戸が現在の名前。ネーミングライツのスポンサーも安定していない。
甲子園は阪神甲子園球場と言う名前だが、ネーミングライツで阪神の名前がついているのでなく、阪神電鉄が所有する球場という意味で名前がついている。
マツダスタジアムはMAZDA Zoom-Zoomスタジアムでこれはネーミングライツによって付けられた名前。
最後は福岡ドーム。ネーミングライツで変遷しヤフードームからヤフオク!ドームになったけど、球団と同じくソフトバンク系列ですな。