ブログ:外の人

マンガ、アニメ、特撮、SF、プロレス、ロックなどの趣味ジャンルで見聞きしたこと思いついたことを外の人の立場でテキトーに書くブログ

新世代なんだろうな

昨日(2018.04.07)学生時分からの付き合いの友人たちのバンドがライブをするというので、久しぶりに京都のライブハウスに行った。

その日は6バンド出演予定。友人たちのバンドはトップバッター。

今までFOOLSや村八分のコピーをやってたけど、今回はオリジナルでやるとのこと。

聞いたサウンドからはFOOLS、村八分ストーンズあたりの曲が好きなんだなというのがよく伝わってきた。

友人たちのバンドの出番が済めば帰ればいいのだけど、せっかくライブチャージを払ってるし、ライブ自体も久しぶりなので、帰りのバスがあるうちは色んなバンドを見てみようと居続けた。

次のバンドは洋楽のコピーバンド。久しぶりにOASISとか聞いたよ。

その次に出てきた方々が独特でした。

女装歌手牡丹さんというシャンソンなどを歌って振り付けをしてというパフォーマー

まぁドラァグショーですな。

わたしが女装コミュニティに出入りするようになった90年代はそれまでの「女装はバレてはいけない。バレないように内輪のコミュニティに閉じこもっておこう」みたいな人たちと「いや、世の中にもっと出ていくべきだ」という人たちがそれぞれなりの活動をしていた。

ドラァグクイーンもゲイ・コミュニティの中だけの存在でじわじわと外に出ていく人も増えてきた。そうした人たちの系譜が現在のマツコ・デラックスミッツ・マングローブにつながっていく。あの方々もドサ回りの営業とかやってた時代がある。

2000年前後には今で言うLGBT(言葉自体は当時もあった)な方々の中から自らの立場を公言し、書籍を出す人も出てきた。

「カミングアウト」と個人の状況に引き寄せた方向での基本的なセクシュアル・オリエンテーションジェンダーアイデンティティの説明をしていくスタイルが中心だった。

今でもそうだけど、表に出ることを厭わないキャラクターとそうした動きに好意的な人とで構成されるゆるいつながりが表に出るキャラクターに比較的安全な環境を提供してきた。

要するに「こういう人が出ますよ」とことわりを入れた上で「こういう人」に嫌悪感を持たない人が客として来るという状況が基本だった。

それが、昨日の場合、誰が来るかという点では幅が広すぎるライブハウスという場所で女装のパフォーマンスをするという、ことわりを入れてきた時代を生きてきた人には思いつかない形での活動の幅の広げ方に「時代が変わったんだなぁ」と思った次第。

もちろん今まで外に出ていくことを厭わず世の認知を獲得してきた歴史があってこその「今」「新しい世代」だと思うけど、それができるようになったのが感慨深いな。

 

4番目のバンドまで見て帰りました。

4番目はメタルのコピーバンドでした。出演バンド数が多く時間制限がある中なので一曲が長いメタルは大変だろうなと思った。

 

せっかくなので

女装して人前に出て性別ネタで話すことをやめてン年。

久々に過去に書いたものを使いたいとの依頼が来た。

改めて読み返すとわたしが人前にひと目でそれと分かる女装で出て話す前提で書いているし、大学での非常勤講師での授業だったので、想定している対象が大学生になっていた。

今回の依頼ではわたしに何度か漫談の真似事をする機会を下さった人が中学生を対象に話すとのこと。また、外国にルーツを持つ生徒もいるとのことなので、できるだけ簡単な言葉で、また中学生がアクセスしやすい情報源を添えて書き直し。

おまけに依頼者から「多様性を実感できるものがほしい」ということだったので、偏りはあるがオネエキャラの違いをわかりやすい表にしてみた。

とは言えちょっと足りないかな?とは思う。できることならわたしが出ていって話をするのがいいのだろうけど、今の事情ではそうも行かないし、わたし自身が女装を引退しているのでそのへんはおまかせにするしかない。

久々に書いたので一応公開してみる。

性別にやさしい.pdf - Google ドライブ

「心の風邪」なんだろうな

毎年1月中旬くらいからメンタルの調子が落ちる。

去年、一昨年は消防団の人事関係で神経をすり減らしてかなり弱った。

今年は転職して覚えかけの仕事でまだ色々覚えないといけないのに教えてくれている人が他部署へ行って、無理やり独り立ちさせられ先行きの不安で出勤の準備までしておきながら、最後に立ち上がれなかった。

そのたびに精神科医の診察を受け、睡眠導入剤抗不安剤抗うつ剤と薬が増えてきた。今では仕事の前の日はこれらの薬を飲まないと寝られなくなっている。

 

よく「鬱は心の風邪」と言われる。本気で本物の鬱は「心の開放性複雑骨折」だと思うけど、わたしが冬場に調子が悪くなるのは「心の風邪」レベルなんだろうなと思う。

今も休みの日は薬を飲まずに酒の量を少し増やして無理やり寝付いているけど、酒の力を借りて寝ると夜中に喉が渇き、トイレに行きたくなって(わたしはこれを「給水と排水」と呼んでいる)目が冷めてからの二度寝がうまくできない。寝床で様々な不安が渦巻いてしまう。

もっと辛い思いをしている人がいるだろうことは理解できるし、世に言われている鬱の深刻な症状に比べればわたしのは軽い症状だろうとは思うんだけど、やっぱり自分自身が辛い気持ちを抱え続けるのはしんどい。

たまの癒しで友人が飼っている犬たちと戯れると気分は紛れるけど、最寄り駅から自宅までの帰路の寒さの中で先々の辛さが頭をよぎる。

困ったもんだと思う。

このまま仕事を続けて慣れてくれば来シーズンの仕事への不安感はましになると思いたい。

消防団は年度替わりで退団なので、もう揉める要素はほぼない。

あとは町内会の役員がまわてきた年が危ないな。

抗うつ剤精神科医と相談して寒い時期だけの服用にしたいと考えている。

身長高いあるある

わたしは身長が高いほうだ。中学入学時は150cmだったのが卒業時には180cmだった。

一番高かった時は20歳前後の182cmだった。

その後寝床に横になって古本屋で買った筒井康隆の文庫本をむさぼり読んでた時に背骨が曲がり、公称180cmになった。

その後も背骨の曲がりはじわじわと進み、近年では176cm〜178cmになった。

でも手足の骨は182cmの頃のままなので手足は長い。

わたしの仕事はいくつか転々としているけど概ね工場労働者で過ごしてきている。

そうした仕事を教えてもらう時に教える人のほうが背が低いことのほうが多い。

そうした人が膝から下の脚の長さで部品や機械の高さを調整して作業することを教えるんだけど、身長が違いすぎてわたしがやると高さが合わない。

こういうことを言うと「脚が長い自慢か」と言われてしまうけど、そうじゃない。

教える側が体格の違いを理解してないので「膝の高さで合わせる」ができないだけだ。

わたしは生来「どんくさい」ので体を使うことが苦手というのもあるけど、それだけでは済まない体格差を考慮できない、体格差に対する想像力のない人は「なぜできない!?」とヒステリックになる。

体格差を説明してもなかなか理解してもらえないだけでなく「脚が長い自慢」と取られてしまうことも多い。

違うんだ。背の高い人が困ることあるあるなんだ。実際に困ってるんだ。

でもその困ってる状況に対する理解や想像力のない人が一方的にキレてるだけなんだ。

正直に言って何をどうしたら自分の体格が標準的で、それに合わせられない人がダメだと考えられるんだろうか?わたしからしたらそうした思考のほうが不思議で仕方がない。

体格なんて一人一人違っていて当たり前なんだから、そこは個人の状況を見て判断をするだけの理解力、想像力、客観性を身に着けてほしいと切に願う。

お腹が弱いわたしが対策してきたこと

子供の頃からお腹が弱い。

学校の給食で出る牛乳はほんとに鬼門で、昼休みにお腹が下ることが多かった。

これは後に乳糖不耐症だと分かるんだけど、小学生にはそんなことは分からない。

分かった今は乳製品でも液体のものは避けるようにしている。

一時期朝食にヨーグルトを食べていたけど、ある程度は安定するんだけどどうにも不安定になることがよくあった。

いろいろ調べているうちに乳糖不耐症という言葉を知ってからは朝食にバナナを食べるように切り替えた。

食物繊維が多いので、お腹の調子は安定しやすい。

あとはビオフェルミン

精神科でコロネルという過敏性腸症候群の薬と一緒に処方してもらっているけど、なかなか安定しなかった。

ある時お腹の調子が悪くなるタイプの風邪をひいて、精神科のビオフェルミンに加えて内科で出してもらったビオフェルミンとダブルで飲んだら安定した。

以来、精神科の処方分に市販のビオフェルミンを飲んでいる。

わたしはこれをビオフェルミンオーバードーズと呼んでいる。

 

いろいろ試して今はこれで安定しているけど、それまではアルカリイオン水を飲んでみたり朝食に食べるものを変えてみたりと色々試したけど、なかなかお腹の具合は安定しなかった。

お腹の調子が悪い時に正露丸をよく飲んでたけど、いつごろからか効かなくなって、今は頓服で塩酸ロペラミドのカプセルを処方してもらってる。

調子の悪い時にちょこちょこ飲んで、半年に一回くらい処方してもらえばどうにかなるようになった。

 

前の仕事で三交替のシフトではなぜか夜中の4時に腸内フローラが大崩壊していた。

4時にお腹の調子が悪くなるからと3時半までの休憩だと先にトイレにこもったりするんだけど、出ない。そして4時をすぎると厳しい差し込みが襲ってくる。

そんなところで腹時計が無駄に正確にならなくてもいいんだけどねぇ。

今は毎朝決まった時間に起きるので、決まった時間に出るようになった。

 

なんだかんだで自分の体の一部だから、そのへんはうまく付き合っていくしかないんだけど、どうやってなだめるかばかり考えてきたなと思う。

世の中にはお腹の調子が不安定な人がけっこうな人数いるんだけど、対策を講じようとかどう渡り合えばいいのかとか考えない人が多い。そこはもっと考えようよ。

急な差し込みを我慢できないで漏らしたら、人間の尊厳が失われるんだよ。それで恥ずかしくって失踪して仕事辞めたやつもいたよ。

ていうか、わたしは小学校の頃によくトイレの個室にこもっていたんだけど、決まってそれをからかう連中が湧いて出た。目立たない場所のトイレに入っても誰かが嗅ぎつけてきた。その時のままならない腹具合としょーもない連中への恨みが、わたしを対策に駆り立てた。

20代の頃は京都の街中で腹具合が悪くなったときのために、周辺のトイレ事情はできるだけ把握するように努めてた。

こうした経験からいろいろ工夫をするようになって、今の一応の解決がある。

でも対策は人それぞれ、腸内環境も人それぞれ、何が合うかは色々試して結果を積み重ねていくしかない。

我ながら不器用だよなと思うけど

音楽、芸能などは基本的にその人の芸と人となりとは別物なんだろうと思う。

でもやはり人となりに引っかかる部分があれば積極的にその人の芸のためにお金や時間を割こうとは思わない。

とあるミュージシャンが原発事故の後にそれを皮肉った歌を「そっくりさん」がyoutubeに上げた時に、そのミュージシャンのファンとして知られる売上も歌詞の内容も楽曲も優等生なバンドの中心人物が「そっくりさんが歌った皮肉った歌は嫌い」と言ったのを見て、ああこの人は表現に携わる仕事をしているのに自らが炭鉱のカナリヤたらんとする気概がないのなだと失望した。

以来そのバンドの曲は聞かなくなった。

 

とある落語家が政治的に残念なことをtwitterで発言。

落語家の二世なんでぼんぼん特有のやさしい芸風が影響してか女性を演じるといい感じだった。嫌いな芸風ではない。だけどあまりにも残念な政治的発言に失望し、この人の高座には足を運ぶことはないだろうと思った。

 

こういう風に気に入らないことがあれば切っていくスタイルは趣味嗜好の幅を狭めるのかもしれない。そんなの気にせず芸は芸として楽しんだらいいのではないかとも思う。でもやっぱりどこかで引っかかるのと、趣味に割く僅かな費用と時間がもったいないと言う気持ちで距離をおいてしまう。

やはり心から楽しめるほうが費用対効果もいいだろうと思う。

だから不器用でも「こいつはダメ」と思ったら趣味嗜好の食指は動かない。

王将の思い出

京都に生まれ育った人なら王将(大阪王将じゃないよ)の餃子はソウルフードと言ってもいいだろう。

わたしも幼少の頃からおつかいで近所の王将に餃子を人数分買いに行ったりした。

店で食べるようになったのは浪人の頃。予備校の近くの出町店でよく食べていた。

ソーハン大(焼き飯大盛り)とか回鍋肉、鶏の唐揚げ(えんざーき)とかをよく食べてた。

当時は長崎で中華料理をやっていた人がやっていて、王将のチェーン店の開店順では一桁くらいの古さの店だった。

今は店長が替わり、学生街ということもあって30分皿洗いで食べさせてもらえるらしい。

このサービスは1990年±5年くらいの頃にいくつかの店舗でやっていた。

わたしがおつかいに行った王将でもやっていて、大学の後輩の大食漢が「もういい」というほど食べさせてくれたらしい。

今でもやっているのは出町店のみで学生を対象にしているらしい。

 

王将は店長の裁量でいろいろできるみたいで店ごとにセットメニューが違ってたりする。

そうした店長の裁量はわたしの学生時代にもあって、修学院店では海苔の佃煮のボトルキープ、宝ヶ池店ではプロレス好きの店長によるアントニオ猪木セット、藤波辰爾セット、長州力セットなどがあった。

今でも烏丸七条の店では京都駅前の立地なので駅前セットというのがある。

 

滋賀に移住してからも最寄りの王将に行くが、滋賀の王将各店のレベルが京都に比べて低い。

ひどいところはご飯が古米を炊いていて、ご飯粒が割れているくらいならまだしも、米が古すぎてお腹を下したこともあった。

この店は各種のメニューの味の違いもわかりにくいくらいのテキトーな調理だったけど、住宅街なので夕方の持ち帰りで行列ができる。滋賀県民おかしいだろ。

他にも看板メニューの餃子がまずすぎて残す人が出る店があったけど、さすがに閉店した。

今もやっている店の中で直営店はまだましだけど、フランチャイズは目も当てられない。

脂ぎった焼きそばとかぬるい餃子とか冷えてない瓶ビールとか散々だった。

県境をまたぐだけでこんなにレベルが落ちるものかと嘆いていたが、最近では京都の各店舗もどうにも微妙な感じになってきた。

調理をする人が王将以外の経験がない人が多く、中華の基礎もできていないように思う。

往年の出町店あ美味しかったのはやはり中華の基礎があったからだと思う。

そういう基本に立ち返った調理を心がけてほしいものである。