ファン同士が仲悪いオーディオ評論家の二人。
どちらもすでに故人なので、今更どうこう言っても意味がないのだが、関わった中での思い出など。
ちなみにわたしは長岡鉄男派です。
わたしがオーディオにハマったのは中学2年1980年のこと。
確か京都の髙島屋に松下電器(現パナソニック)のオーディオブランドTechnicsのショールームがあった。
そこで「ジャストジャケットサイズ」と言ってレコードのジャケットと同じ31.5cm角の正方形のレコードプレーヤーが新発売で大きく扱われてた。
大きな売りのポイントはサイズだけでなく、リニアトラッキングアームという点。
普通のレコードプレーヤーはトーンアームを回転軸を中心として弧を描くのだけど、レコードの原盤を作るカッティングマシンは直線に横に動くリニアトラッキング。
それを再生の時にも実現したというのが大きなポイントだった。
機械技術に興味を持ったわたしはそこからオーディオ沼にハマっていく。
当時、長岡鉄男は自宅のメインシステムを自作のバックロードホーンスピーカーD-7MkIIに更新したばかりで、Stereo誌の読者を招いて試聴会をやった記事に興味を持った。
同じ中学でオーディオに興味のあったのが、わたしを含めて3人。
その3人でよく長岡鉄男談義をしたものである。
長岡鉄男の記事の魅力は重量にこだわった記事。
新発売のアンプの試聴記事で、メーカー公称の基本スペックだけでなく、総重量はもちろんボリュームのつまみやアンプの足だけの重量なども測定した値を書いたり、回路設計上の大きなポイントをクローズアップしたりした内容を淡々として論理的な記述なのに全体像が描けるのが魅力だった。
論理的な記述では江川三郎も負けず劣らずなんだけど、どこに理屈の重点を置くのかというのが違った。
長岡鉄男は重量と体積を軸にしていた。江川三郎は電気理論から始まるオーディオ理論だったように思う。
高校受験を経て、オーディオ仲間3人の進路は別れたけど、高校合格祝いで3人共アンプ、レコードプレーヤー、自作のスピーカーという組み合わせのコンポを入手した。
高校の3年間もお互いに行き来して、それぞれのオーディオを巡ってあれやこれやと話していた。
そんな中で、わたしが江川三郎のクリスタルガラスのコップを逆さにしたレコードのスタビライザーを導入したら「裏切り者」と言われた。
いや、オーディオなんて「自分好みの音」に向かって試行錯誤する趣味なんだから、自分が納得して導入して効果があれば採用していくというのは当たり前だろと思っていたので「信者」との距離を感じたのであった。
他の二人は長岡鉄男設計のスピーカーだったけど、わたしは長岡理論をベースにした自分の設計で作ったスピーカーだった。その分試行錯誤も楽しかった。
大学に入ってからクラシックファンでオーディも少しかじってますという人とオーディオ談義をするようになったが、音の好みが違いすぎて距離が開いたな。
その後、東京に遊びに行った時に秋葉原のコイズミ無線の二階で江川三郎のイベントがあって、後にビクターのK2に結実するハーモネーターの試聴会に参加した。
会場は江川三郎信者ばかり。
終わってから話してる時に「長岡式のスピーカーを作る予定」と言ったら、やんわり否定されたが、江川三郎本人は「京都にも行くべき店がある」と言って、いくつか紹介してくれる度量の広さだった。
長岡鉄男と江川三郎という人気オーディオ評論家はお互いにそれぞれの着目する理論に対して敬意を払ってたし、晩年には「いつか世間をあっと言わせる」ことを画策していたらしい。
実現せずに二人とも亡くなったけど、わたしの中には二人が記事で書いてきたことが血肉となって残っている。