ブログ:外の人

マンガ、アニメ、特撮、SF、プロレス、ロックなどの趣味ジャンルで見聞きしたこと思いついたことを外の人の立場でテキトーに書くブログ

クィアはいつまでピエロ扱いなのだろうか?

月イチで掲載されるプリキュアの数字ブログのkasumiさんのねとらぼの記事。

記事そのものには大いに同意する。

nlab.itmedia.co.jp

 

でもここだけはひっかかる。

 

" 本作においては、ローズマリーさんというクィア的、ノンバイナリー的なキャラクターにそれらを伝える役割が与えられ、いわゆる説教臭さも少なくコミカルに大切なことを子どもたちに伝えられているのも特徴の一つです。"

 

クィア的なキャラが話せば重たい話や難しめの話題が説教臭さも少なくなりコミカルになるのか?

この部分を書いた時のkasumiさんはおそらくその文章がクィアクィア性に寄って立つ存在感がからかいの対象になっているとの意識はなかったのではなかろうか?

kasumiさんはtwitterでの発言も各方面に配慮しているのがうかがい知れるし、アニメ評論もやっているトランスジェンダーの方とも意見を交わしている方なので、やはり残念に思う。

 

各所に配慮している方ですら「うっかり」クィアをコミカルな存在であると書いてしまうほどにカジュアルにクィアはからかいの対象として広く認知されてしまっている。

この状況に対して否を唱えるのはクィアを自認する人達であるのはもちろんだけど、アライもしくはアライに近い立場の人達もできることなら意識して発信していってほしい。

 

ねとらぼ記事のタイトルにあるように意見が違う人=敵ではないのだから攻撃するつもりなど毛頭ない。

お互いに手をたずさえあえる者同士の手と手がうまくつかめなかっただけのことだと思っている。

手をつなげなかったよ、つなぐためにお互いの手の位置を確認しようねと声を掛け合うことが肝要かと思う。

声掛けよし!

ご安全に!

レインボーなノリに対する複雑なあれこれ

レインボーフラッグ、言わずと知れた性の多様性の象徴の旗。

 

虹は可視光線が分光して様々な色がグラデーションで現れる。

もちろん赤外線や紫外線といった見えない波長にも分光は及んでいる。

 

さてレインボーフラッグをよく見てみよう。

 

6色しかない。

一説にはレインボーフラッグが作られ始めた頃にピンク色の布は高いから外して6色にしたと言われている。

また、可視光線を6色に分けて線で区切っている。

目に見えない紫外線や赤外線は表現されていない。

つまりわたしの屁理屈ではレインボーフラッグは目に見える範囲のものだけを取捨選択し、さらに境界線を引いていると解釈できる。

今は7色のバージョンもあるみたいだけど、可視光線に限った上で境界線を引いていることには変わりがない。

ではどうすればいいのか?という疑問があるだろう。

一応の答えとしては赤外線から紫外線までの分光をグラデーションで表現したものとなるだろう。

さらに言えば全波長を表現してほしいとも思う。

でも”世界市民はすべての旗を降ろす”なので旗なんていらなくなる日が来ることを願う。

www.youtube.com

 

さて、レインボーフラッグそのものに対するあれこれはここまでとして、タイトル通りレインボーなノリに対する複雑なあれこれを。

わたしは趣味女装で外出し、お声がかかれば人前で漫談することをやっていた時期がある。

そうした漫談の中で話していたのは自分の性のあり方にはゆらぎがあるということ。

時期的には2000年代の頃、漫談のお座敷に出向くと声をかけてくれた主催者さんが「レインボーフラッグは用意できませんでした」みたいなことを言われた事がある。

わたしからレインボーフラッグを掲げてくれとか言ったことは一切ない。

声をかけてくれた人に文句を言うのもあれだけど、良かれと思って言っているのだろうけどわたしはレインボーフラッグというかレインボーフラッグを象徴と捉えるノリに疑問符がついているので、むしろ旗はいらない。

 

わたしの趣味女装は一目でそれと分かるというのが大きな特徴のひとつ。

これをノンパス女装という。

ノンパス女装で外出するということは「そういう人」が身近なところにいないと思っている人たちの日常の中に入っていくことであり、異物混入以外の何物でもない。

基本的には一人で行動するので、周囲の人達の反応も一人で引き受けるということ。

好奇の目で見られることは覚悟の上、状況によっては暴力にさらされるリスクも負っている。

 

わたしがノンパス女装での外出を始めたのは1996年頃。

日本で初めての合法的な性別適合手術が行われ、性同一性障害という言葉がヨチヨチ歩きをしだした頃。

当時は同性愛のコミュニティはあったけど、トランスジェンダーという言葉はなにそれおいしいの?みたいな感じだった。

(広義の)トランスジェンダーを自認する人達が同性愛コミュニティの隅っこにお邪魔させてもらってるような感じで自助グループっぽいものが芽生え始めた時期。

2000年前後くらいには同性愛コミュニティを中心に「パレードをやりたい」という声を聴く頻度が高くなっていた。

この頃のコミュニティはリベレーションとしての意識があり、デモの一形態としてのパレードという認識はあったように思う。

というかわたしとつながりのあった人達が活動家が多かっただけかもしれないけど。

 

話はさらにさかのぼって1990年代。

わたしは新左翼学生運動の影響を受けてフリーターをしながら市民運動に首を突っ込んでいた。

PKO法が可決され自衛隊カンボジアに派遣されることに抗議するデモに参加していた時のシュプレヒコールに「アジア人民と連帯して戦うぞ!」というのがあった。

その時ふと「連帯してくれるアジア人民ってどこにいるの?」という疑問が頭から離れなくなった。

以後、デモに参加する意義を見いだせなくなってからはデモの隊列には加わらず横歩きをするようになった。

そのような経緯があってデモそのものには意義があるとは思うけど自分から参加しようという気持ちは薄れてしまった。

 

さて、近年デモに対する否定的な言説が目立つようになってきた。

たいていは自分の意志で行動を起こせない人達が行動を起こした人達を揶揄する感じで言われる。

そしてそうした文脈は権力や権威に対して迎合的な層に幅広く浸透し、自分の意志で行動を起こしている人達の中にもあり方の変わってしまった大衆におもねる傾向が出てきた。

象徴的なのが2022年の東京レインボープライド(TRP)前に中心人物がパレードはデモと一線を画す旨の発言。

TRPだけでなくLGBTQ+なグループのパレードは少数者である参加者たちが存在を消すなとアピールするものなので、その根底において政治性を帯びたデモンストレーションであるというのがわたしの認識。

でも主催者は「ハッピー」を強調するのみで政治性を隠そうとする。

 

ノンパス女装での一人での外出は平穏な日常に異物が紛れ込むことで政治性を常に帯びている。排除されるリスクも一人で負っている。

そう、一人デモだ。

そうした一人デモをやってきたわたしからすれば、徒党を組まなければ表に出られないなんてちゃんちゃらおかしいのだが、集合にならないと表に出られない事情などを抱えている人達がいることも理解している。

そうした一参加者に対してはお好きにどうぞとしか思わないけど、主催者がパレードから政治色を抜こうとすることは受け入れがたい。

 

以上、わたしの個人的な複雑な経緯を経て、今の政治性を帯びたものを排除し嘲笑する傾向には強い違和感を覚えるようになったのである。

カーステレオ→カーモノラル→カーステレオ

このブログ本来の趣味ネタ。

 

今乗ってる車は中古のミライース

中古車を車検費用込みのリースで乗っている。

ついているカーオーディオは純正のCDとラジオと外部入力の機材。

4年間のリース契約が終わればわたしの所有になるけど、今の所有者はリース会社。

多分カーオーディオを付替えますと断りを入れれば文句は言われないだろうけど、制約があればその範囲内でどういう方法が取れるのかと考えるのが楽しいので色々考えてみる。

やりたいことはスマホに入ってる音楽をカーオーディオで再生すること。

型落ち軽自動車の純正オーディオにBluetoothなんて付いてない。

外部入力端子はあるのでiPhoneのLightning端子からステレオミニに変換するケーブルとステレオミニ両オスのケーブルを用意して接続する。

音が出ない。

もしかして変換ケーブルの端子は4ピンだからダメなのかと4ピンケーブルでつなぐがやはり音が出ない。

純正オーディオ側はおそらく3ピンステレオミニなので、4ピン→3ピンに変換する。

音が出ない。

 

今の車が納車される時にカーオーディオのCDがイジェクトしないからと機材を交換している。

もしかして外部入力端子が故障しているのかもと考えた。

そうこうしている頃にオートバックスシガーソケットの電源でBluetoothで受信した音声をFMで飛ばすトランスミッターを見つけたのでお試しで安いものを買ってみた。

これも最初音が出なかったけど、スマホ側のボリュームをMAXにしてカーオーディオのほうもボリュームを上げたらようやく聞こえてきた。

 

まぁ使えるのでとりあえずこれで通勤BGMを再生する。

だけど音がモノラル。安物だからだと思うけどモノラル。

不思議なのはカーオーディオ直上くらいに音像が定位すること。そのへんはカーオーディオの設計でそうなってるんだろうな。

 

音楽は聞けるようになったけど不満があった。

モノラルなのはいいとしても空電音がやたらと鳴るのが気になった。

どうにかしたいけどいい解決方法が見つからなかった。

どうにかしようといろいろいじってる時に偶然で外部入力端子が壊れているのでなくスマホもカーオーディオもボリュームをかなり上げたら聞こえてきた。

端子が壊れていたのではなくただの出力不足だった。

てことで変換プラグ+ステレオミニケーブルでつないで聞くように切り替え。

なんということでしょう。それまでモノラルだった音楽がステレオで再生されるようになった(そりゃそうだ)

 

てことでうちのカーオーディオはステレオ→モノラル→ステレオと変遷したのでした。

その後の母方祖父

先日書いたエントリ「父から聞いた満州の話」の母方祖父Aの話。

twistedgender.hatenablog.com

 

わたしの母方祖父Aについては従軍時の話は一切知らない。

どのようにして復員したかも知らない。

でも復員して建築の仕事をしていたようである。

そして1948年の福井地震の後に現地入りしてバラックをたくさん建てたというのがわたしが知っているAの一番古いエピソード。

いつ頃か分からないけど経営していた建築会社の集合写真には多くの人が写っていた。

それなりの人数を雇っていたそれなりの規模の会社だったと思われる。

 

Aは役人が嫌いだったという話は何度も聞かされていた。

印象に残っている話では改装と称して家をすっぽりと囲って見えないようにして、中で解体して新築した家を役人相手に改装と言い張ったとか、ラビットスクーターに雪駄で乗っていたのを警察に指摘されて雪駄がいかに脱げにくい構造になっているかと屁理屈をこねたりといったものがある。

改めて書いてると現代の基準では炎上しそうだな。

 

これも今だとどうかと物議を醸すかもしれないエピソードだが、電気屋さんの工事を請負った際に電気屋さんが工事費を払う現金がないからと当時まだそれほど普及してなかったテレビで現物支払したために町内で一番最初にテレビを導入した家になったらしい。

 

役人嫌いの他には宝くじが好きでよく買っていたけど大当たりはしなかったらしい。

下戸だけど現場で働いた人たちを自宅に呼んで宴会するのは好きだったらしいが、母は準備や片付けに駆り出されるのはよくは思ってなかったと語っていた。

そんな母方祖父Aは六輪の大型トラックに巻き込まれてわたしが生まれる前に亡くなった。

 

一族の中ではわたしが一番性格が似ているらしい。

まぁ役人嫌いだし宝くじは好きだし宴会も好きだしな。

父から聞いた満州の話

ずいぶんとほったらかしにしていたこのブログ。

ほぼ一年半ぶりの投稿です。

タイトル通りの内容です。

 

わたしの両親は1940年満州生まれです。

母はすでに他界しているので話を聞けないけど、父には聞ける。

ということで聞いてみたら、やはり5歳くらいまでのことなのでそんなに覚えてないとのこと。

ただ、父は男兄弟三人の三男なので兄が二人いる。

次男兄はすでに他界、長男兄は認知症なので現状で満州のことを語れる身内は父のみ。

父が言うには大人になってから兄弟で話す(呑む?)時に満州での話をしていたので、記憶が補強されているらしい。

 

わたしの母方祖父Aが大工をしていて、建築の仕事があるからと満洲に渡ったのが始まり。

建築の仕事がうまくいってAは満州で何人も雇用する建築会社を経営していた。

会社の規模が大きくなってきた時に会社の番頭が必要だが「中国人(満洲人というのも正確かどうか不明、以後は鉤括弧なしの中国人と表記する)」に任すつもりがなかったAは妻の姉妹と結婚していた父方祖父Bに白羽の矢を立てる。

そうしてBは満州に渡り建築会社の番頭になる。

そうこうしているうちにA夫婦、B夫婦共に子供が生まれる。

それが後にわたしの両親となる人物である。(両親は従兄弟同士)

 

母からも話を聞いておけば、また違う視点の話もできたかもしれないのは仕方がない。

母の満洲での思い出は「とにかく寒かった」「寒さをしのぐために七輪でニンニクをあぶって食べていた」というのを何度も聞かされたのと、引揚時にDDTをかけられた話が多かった。

 

父が子供の頃は日本人も中国人も仲良く遊んでいたらしい。

それがある日突然中国人グループが父たち兄弟を含むグループを襲おうとしてきたとのこと。

その時は兄たちが機転を利かして窮地を脱したそうだ。

父の記憶が定かではないらしいが「ある日」とはおそらく1945年8月15日だろうとのこと。

満洲玉音放送があったかどうかも覚えていないとのことだが推定すればそうであろうとのこと。

 

時期は定かではないがソ連軍が入ってきた時は性暴力がえげつなかったとのこと。

5歳児の印象に残ってるくらいだからよほどのことだろう。

ソ連軍が満州国内を跋扈するようになった頃に、父と次男兄が留守番をしている時にソ連兵が自宅に押し入ってきたことがあった。

なんでも外からちらりと赤いものが見えたから女性がいるだろうとの決めつけで7歳男児と5歳男児しかいない家に押し入り、女を出せと家中ひっくり返して回ったとのこと。

かなりの恐怖だっただろうと思う。

 

母方祖父Aの建築会社はAが兵隊に取られて解散となった。

解散する際に番頭だった父方祖父Bは中国人も日本人もないと会社の資産を平等に分配した。

満洲鉄道をはさんだ東側の日本人居住区を西側に住んでいる中国人たちが襲撃する計画を建築会社の社長用馬車の御者をやっていた人物が知らせてきて、家族みんなが身一つで御者の身内の家に避難。その後、家財などは御者と仲間が運んでくれたとのこと。

Bが資産を平等に分配してなければ御者たちが助けてくれたかどうか分からない。

ここが大きな分岐点だったのだろう。

 

その後、家族は日本への引揚のために港のある町まで南下していく。

一家を率いていたBは行く先々で仕事をしては移動の資金を作り、また移動ということを繰り返していくうちにいつの間にかソ連軍相手の通訳になっていたとのこと。

いつの間にロシア語を覚えたのかも不明だが、おそらく番頭をしていく中で様々な相手と交渉事を重ねていくうちに身につけたのだろう。

 

そうこうして大連の港から日本へ引揚げたとのことでした。

 

こうした話を覚えている人が生きているうちに話を聞いてアーカイブしておくべきではないかという思いつきが、父に話を聞いたきっかけだった。

父はそんな大層な話ではないと言うが、けっこう大層な話だった。

記憶を残して、ちゃんと話せる人がいるうちにあちこちで話を聞いて個人ブログでもいいから残していったほうが後世のためになるのではないかと思いながら筆を置く。

 

年末に消防団の嫌なことをぶちまける

わたしは消防団はもう3年ほど前に退団してるんだけど、こういう記事が目についたので怨念を成仏させるためのエントリです。

 

mainichi.jp

 

わたしがいたところは幽霊?みたいな人もいたけど、年度始まりに本来なら団員個人に自治体から出る報酬を団の会計に一括して任せますという委任状に各団員の署名捺印を集める形で幹部が会計をしてました。

分団全体の行事に出た人への食事とか懇親会の食事やお酒、班長会の後の食事とお酒などに使われてました。

食事と言っても宴会の時は仕出し弁当、後は牛丼やコンビニのおにぎりやサンドイッチと言った感じでした。

そうしたお金を使って余った分を基準となる年俸と訓練を含め出動回数に応じた報酬が出ます。

紹介した記事にあるような慰安旅行はなかったけど、忘年会では参加者の割り勘でコンパニオンを呼んでました。宴会自体の費用は分団の会計からです。

 

さて、ここまでの話でわたしが感じた違和感を。

まず、年度末に総会をして、その後宴会になるのですが、その際に各町内から選出された新入団員を紹介して宴会に突入します。

ここで大きな勘違いとして、経費でお酒を飲めることをメリットと思っているという旧弊な価値観があります。

わたしはお酒が好きだけど、見ず知らずの人達の中に入っていきなり打ち解けるようなタイプの酒飲みではないです。さらにお酒を飲めない人もいます。もはやアルハラと言ってもいいでしょう。

忘年会でコンパニオンを「自腹の割り勘」とは言え呼ぶこともメリットと捉えている価値観のようですが、おそらく歴代の団員にLGBTsがいた可能性が高いので、ヘテロ前提のコンパニオンはいかがなものかと思います。

年俸と報酬に関しても本来自治体から個人に出される予算と比べれば当然少なくなります。出動時の報酬は自治体が人数の上限を設定しているというバカな事情もあって、顔を出した人達に行き渡るように、一回の出動に付き一人あたり500円になってました。元は3人までで一人あたり2000円とかだったと思います。

 

ここまでは消防団の内情を知った上での違和感ですが、その前に町内会で毎年、次の団員を選ぶのも違和感があります。

わたしの時はまず候補となる人(18歳から48歳までの男性町内会員全員)を集めて、町内選出の現役団員が消防団の必要性や意義を説明して、年齢が上の人から順番にということで、その時点で対象範囲の最高齢だったわたしが選出されました。

最終的には自分で了承したので、わたしも自身の選出を了解してるんだけど、話し合いの場の雰囲気ではNOとは言いにくい状況だったので、戦時中から続く相互監視の意識と召集令状にNOと言えない雰囲気と同様のものがあったように後から思ったものでした。

 

極端に言えば「消防団は現代に残った徴兵制のようなもの」でしょうか。

 

そうしていやいやながら、できるだけ都合を付けてできる範囲で顔を出していたのだけど、ある時期に仕事の都合がつかない日があったので「その日はダメだ」と言ったら「あかん、出なさい」との返答。一応都合を付けて出たけど、納得は行かない。

その後も任期中は有給休暇を消防団のために使う日々でした。

今更ながら理不尽だと思います。

だから、任期途中からわたしは

消防団の即時全面撤廃を公約にする政治家がいるなら、ほかの政策や人物がどれだけダメなやつでも全力で支持する自信がある」

とまで思うようになりました。

 

余談ですが、消防団の訓練とかはだいたい日曜日の朝に行われるので、わたしの任期中の大きなストレスは訓練のせいでニチアサをリアルタイムで見ることができないことでした。

娯楽を削ってまでやりたくないことをやるのはやはり大きなストレスです。

任期中に何度か腰を痛めました。腰にはすべてのストレスが集中するそうです。

 

それでなくても21世紀の日本社会は、生き延びるだけでも強いストレスがかかります。だから自分の心身を守るためにも町内会の役員や消防団員は可能な限り避けるべきだと思います。

太陽の活動が弱くなるらしい

まずはこの記事を。

gigazine.net

太陽の活動が弱くなって、気温が下がるかもしれないという予測。

この記事中にも書かれているけど、太陽活動の低下による気温の低下は温室効果ガスによって相殺されるのではないかとのこと。

卑近な日常生活に寄せて考えれば、真夏の最高気温が高くても35℃くらいで止まってほしい。

冬は寒くなるだろうけど、雪は勘弁してほしい。

ものすごく希望的な予想では海水温も下がるから、空気中の水蒸気の量も減って雪になりにくいのではないかと思う。

2050年くらいまで続くなら、わたしが亡くなるまでくらいかな?

 

気温が下がったからと言って油断するのでなく、この極小期の間もCO2を削減する取り組みを続けないと、その後が悲惨なことになるかもしれない。