こういうことは多々あるのだけど、過去からのステレオタイプを受け継いだような安直な描写は「今」を作り出すにあたっては不見識のそしりを免れない。
テレビの視聴率が下がって久しいが、それはすなわち時間の使い方、娯楽の享受のしかたの多様化にほかならない。
ということは視聴者にも多様な人がいることが前提となる。
そうした中で表現を作る上で多数派の論理を一方的に押し付けるのでは批判されてしまう。
ましてやマイノリティをからかうような描写は厳に慎むべきだろう。
それでもマイノリティを出すのなら、その前に実際に現実を生きているマイノリティの生活を丁寧に取材し、当事者の声を聞いておく必要がある。
時間に追われてできないのなら、無理にマイノリティを出さななくても、他の方法がある。
表現を作る側には表現対象と寄り添う意識があるかどうかが問われる。